今から10年前ぐらいの僕が25歳の時の話です。
その時僕は、ファミリーレストランで店長をしていました。
同期の同僚などは、ファミレスのハードな仕事に耐えられず辞めていったり、うつ病になり退職したものもいました。
同期の9割が退職している中、退職しないでファミレス業界に生き残っている自分は、凄く強い人間だと思っていました。
年収も今の2倍近くあったし、自分はどれだけ働いても、大丈夫だ!!強い人間だ!!って思って、かなり調子に乗っていました。
仕事はハードでめちゃくちゃきつかったけど、それなりに責任ある職務につき、充実していたような気がします。
そんな時に、僕の人生の中で1番の衝撃的な事件が起きました。
そしてこの事件が起きるまでは、今思うとカッコ悪いですが、俺ってすげーって思ってましたから・・・
姉が自殺した
それは日曜日でした。
その日のシフトは9時から24時のハードなシフト。
いつも目覚ましを8時15分にセットして、すぐに仕事にいくのですが、その日は突然の電話で起こされました。
最初は、お店でまた問題でもあって、呼び出しの電話かと思い「めんどくせーなー」と思って電話を出てみると、お店からので電話ではなく、母からの電話でした。
[speech_bubble type="ln" subtype="R1" icon="2.jpg" name="母"] もしもし・・・お母さんだけど・・[/speech_bubble]
[speech_bubble type="ln" subtype="L1" icon="1.jpg" name="私"] うん。何(眠)[/speech_bubble]
朝の寝起きが母の電話なんて、その頃の僕は、母の存在が結構面倒くさい存在だったので、
何だよ!!朝っぱらから!!面倒くせなーと思ってぶっきらぼうに電話にでました。
[speech_bubble type="ln" subtype="R1" icon="2.jpg" name="母"] あのね・・・[/speech_bubble]
何だか言いにくいことがあるのか、モジモジしている母がいました。
僕は寝起きと言うこともあり、モジモジしている母にかなりイラつきました。
[speech_bubble type="ln" subtype="L1" icon="1.jpg" name="私"] 何だよ!!もう仕事に行かねーと行かないんだから早く言えよ!![/speech_bubble]
結構イライラした口調で言ったのを覚えています。
[speech_bubble type="ln" subtype="R1" icon="2.jpg" name="母"] あのね・・お姉ちゃんが死んじゃったの・・・[/speech_bubble]
最初、何冗談言ってるんだよって思いましたし、理解ができませんでした。
だけど深刻そうに言っている母がいましたので、冗談ではないとすぐにわかりました。
そして僕は母に理由を聞きました。
[speech_bubble type="ln" subtype="L1" icon="1.jpg" name="私"] なんで?事故?[/speech_bubble]
母は凄く言いずらそうでした。
少し間が空きました。
[speech_bubble type="ln" subtype="R1" icon="2.jpg" name="母"]自殺しちゃったの・・・ [/speech_bubble]
電話越しの母は、少し涙を流しているような声で言いました。
そして母の言葉を聞いた瞬間、僕は固まりました。
意味がよくわからなく、理解に苦しみました。
その瞬間は、特に悲しいという感情はなかったのを覚えています。
放心状態そんな感じでした。
そして時間は8時30分近くになっていました。
そんな時に「やばい遅刻する!!」そんなことが頭に浮かんだんです。
「お姉ちゃんが死んでしまった」
そんな知らせを聞いた後なのに、「早く仕事に行かないと」って思っている自分がいました。
[speech_bubble type="ln" subtype="L1" icon="1.jpg" name="私"] 俺、仕事に行かないと行けないから、ごめん電話きる[/speech_bubble]
そんなことを言って電話を切り、急いで仕事場に向かいました。
車を運転中に少しずつ涙が出てきました。
だけど仕事を休んで、親に会いに行こうとか、そんな考えは少しも浮かばず、
「僕がいないと店が回らない」
そんな気持ちがだけありました。
仕事場
仕事にはギリギリ間に合い、涙目の状態で仕事を始めました。
幸いその日は、ホールに出ないシフトでほとんど1日キッチンでした。
ずっと涙目で多分仕事をしていたと思います。
夜21時になり、21時から仕事のパートさんが、涙目の僕をみて「どうしたの?」て声を掛けてきました。
お姉ちゃんが、自殺したことを話すと、
「なんでこんなところで、働いているの!!早く親のところに行きなさい!!お店のことはなんとかするから」
と言われ、少し早めに仕事を上ることにしました。
実家に向かう
その時は上尾市のファミレスに勤務していたので、夜だったら1時間ぐらいでいけるぐらいの距離だったのですが、途中で車がパンクしました。
こんな急いでいるときにパンクなんてと思ったのですが、不幸中の幸いか夜22時を過ぎていたのですが、近くのガソリンスタンドでタイヤの交換をしてくれることに。
今思うとパンク修理はできなかったのかと思うのですが、何故かタイヤの交換をしました。なんでだろ・・
タイヤの交換が終わったのが夜中1時すぎで、その後家に向かいついたのは深夜2時ちょい前くらいでした。
自宅の鍵は持っていたので玄関まで入ったのですが、家中寝静まっていて今から起こす勇気もなく、僕は書き置きを残し、上尾の自宅に戻ることにしました。
書き置きにはたしか「元気を出して」的なことを書いたと思います。
なんて、書いていいかわからず、元気を出してと書いたような気がします。
それからが地獄だった
それからの日々が地獄でした。
悲しみは日に日に増していきました。
一番辛かったのは、夜眠れなくなったことです。
長時間労働の後、疲れ切った体でも眠れない。
少しも眠れないわけではありませんが、睡眠が浅いし、眠れたとしても5時間ぐらいでした。
そしてその時よく見た夢が、
母親が崖から落ちる夢
この夢を何度もみてうなされました。
食欲がなくなり体重が10キロ近く減少し、50キロぐらいになりました。
会社を退職
精神的にも、肉体的にも限界が僕におとずれました。
今考えても、あの時のことは恥ずかしいのですが、唐突に自分のお店のシフトから抜けました。
医者に相談して、「仕事できる状態ではない的な」診断書を書いてもらい、
ことを上司に報告して、お店のアルバイトなどには説明せず、仕事を放棄しました。
その後1ヵ月後ぐらいに、一度お店に顔を出しましたが、特に何故こうなったか、アルバイトの人達には説明はしないで、会社を辞めました。
退職後
退職後も眠れない日は続きました。
寝る前など、暑いわけじゃないのに、手や足の裏から異常に汗が出たり、手が震え出したり生きているのが何故か怖い日々が続きました。
医者に相談した結果、カウンセリングをある一定の期間していかないと、正確な病名はわからないといわれましたが、「自律神経失調症」か「うつ病」の可能性もあると言われ「デパス」を処方されました。
なんだか凄い怖い気持ちになりました。
姉は「うつ病」が原因で自殺しました。
そして僕も「死を意識」するようになりました。
薬は1ヶ月程飲み続け、飲むと気分が安らぐ感じにはなりましたが、薬を飲んでいる自分にが怖くなったのと、薬を飲めば飲むほど、一生飲みつずける生活になる気がして、1ヵ月後医者に相談するでもなく、勝手に薬を飲むのをやめました。
それから、1年程定職にはつかないで、職業訓練や、アルバイトなどをして過ごしました。
手や足の汗や、手の震えが続きましたが、1年後ぐらいから幸い症状が和らぎ、その後なんとか定職につき、今は完全復帰(多分)しています。
僕がうつを治すきっかけとなった、職業訓練について書いた記事↓
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LINK【うつ病で会社を退職した人へ】 職業訓練に通ってみませんか!!
最後にこの時の自分に言いたいこと
ご飯を普通に食べて、ある程度睡眠をとっていれば、「元気でいられる」と僕はこの時まで思っていました。
月間300時間以上働いていても、余裕だった自分が、きっかけがあったとしても「鬱」になり、人間の弱さをこの時知りました。
12年前の自分に会えるなら言ってやりたいです。
「あんまり調子に乗んなよ!!人間って弱いからな」